「性同一性障害の家族が戸籍上の不利益を被ったことに異議を唱えた」という、おそらく大半にとっては「だから何やねん」と思うことが、もしこの訴えが認められていなければ、とても大変なことになっていたということを書きます。
兵庫県在住のある男性は、性同一性障害のために性別適合手術を受け、戸籍上の性別を女性から男性に変更しました。その後、結婚し、妻は提供精子による人工授精で出産しました。ところが、出生届を提出する際に、子は「非嫡出子」とされ、子の戸籍にある父親欄は空白にされました。
戸籍台帳には男性が性別変更を行ったことが判明する但し書きが貼り付けてあり、彼が「元女性」であることが戸籍上、明らかである以上、夫と生まれた子に血縁関係がないことは明らかだからというのが理由だそうです。
そんな但し書きが貼り付けてあるというのが何気に気持ち悪いのですが、話を先に進めます。
そこで夫婦は戸籍記載の訂正を求めて、家庭裁判所に申し立てを行いましたが、却下。東京高裁も棄却されましたが、最高裁判所でようやく認められ、子の戸籍の父親欄に彼の名前が記載されるに至りました。そして、性別を変更した夫の妻が提供精子による人工授精で妊娠した場合、出生子を嫡出子として戸籍に記載するように全国に通達されました。
詳しい経緯については『生殖医療の衝撃』を参照いただきたいのですが、正直、最高裁の判決は「そらそやろ」な内容で、何でそんなおおごとになっているのかわからないのですが、私がめっちゃ引っかかったのは以下の部分です。
この事例の原決定、すなわち「夫と生まれた子に血縁関係がないことが明らかであるという理由により嫡出子と認めない」という論理は、正直なところ、多くの産婦人科医師にとって困惑すべきものであり、同時にきわめて大きな衝撃であった。
というのは、もし、この論理が正当であるとすれば、(性別変更とは無関係に)すべての提供精子による人工授精で生まれた子どもたちが「もし提供精子による人工授精により母親が妊娠したことが明らかになれば」=「父親と血縁関係がないことが明らかであれば」嫡出子と認めないということになってしまうからだ。
ほんまやΣ( ̄□ ̄ ||
「性同一性障害の家族が戸籍上の不利益を被ったことに異議を唱えた」ということを聞いたとき、「自分には関係のないこと」と大半の方がスルーしてしまうと思います。
しかし近年、本当に少なくない方々が精子提供、卵子提供、代理母、子宮移植など第三者の存在を介して子どもを持っており、病院、家族、友人も含めれば、当事者や身近なことと感じる方の数はさらに増えます。
人工授精なんて何十年も前から行われていて、精子提供も多く行われていたのに、それらはどう対応されていたんだろう・・・と思いますが、法律がはるかに取り残されている現状において、もし彼らの訴えが認められていなければ、当事者やその周辺の方々はザワザワしたものを抱え続けなければならなかったと思います。
「性同一性障害の家族が第三者を介して子どもを持つ」ことは、今はまだレアケースかもしれません。しかし、それを切り捨てるのではなく、「丁寧に対応する」ことが結局、多くの方の利益にもなっています。
沖縄の祖国復帰協議会会長・喜屋武真栄さんは沖縄の状況を訴えるとき、「小指の痛みを、全身の痛みと感じてほしいのです」と言いましたが、作家の矢部宏治さんは、この言葉をこう説明しています。
これは決して、たんに同情してくれというメッセージではありません。
小指が傷ついているのをほっておいたら、やがて全身が腐ってしまいますよという警告なのです。
体の一部がこれほど傷ついているのに、その痛みを感じないというのは、神経がやられているのではないですかという、実にまっとうな問いかけなのです。
「常識」は変わります。それに応じて変わっていくことができなければ、いずれは集団としてもたちゆかなくなると思います。小指の痛みを感じることのできる社会を望みます。
<参照>
■石原理、『生殖医療の衝撃』、講談社
■矢部宏治、『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』、書籍情報社